Steve Ross Vinyasa Flow WS & Kirtan

 

 

 

 

LAよりマスターティーチャー来日!

スティーブ・ロス ヴィンヤサフローワークショップ&キルタン!

Visiting Master Teacher from LA Steve Ross Vinyasa Flow WS & Kirtan March 28th 2009

 

 

ヴィンヤサフロー・陰ヨガ・呼吸法・瞑想・キルタン

 

Vinyasa FlowYin YogaHolotropic BreathingMeditationKirtan &Dharma Talk

 

20年以上ヨガを教えている、マスターティーチャー、Steve RossLAより来日します!ヴィンヤサフロー, Yin Yoga, 呼吸法&瞑想,キルタン&ダーマ・トークをヨガスポットにて行います。LAスタイルのヴィンヤサフローとスティーブ・ロスのハッピーになるキルタンをぜひ、お見逃し無く!!

 

 

{日程}

2009年3月28日()

 

{講師}

スティーブ・ロス

 

{4部構成:ワークショップスケジュール&内容} 通訳付き

 

1部:ヴィンヤサフローWS  {10:0011:30AM}

Vinyasa Flow

 

遊び心に溢れた楽しいヴィンヤサフロー、ハッピーヨガ。スティーブ・ロスのヴィンヤサフロークラスは、ヒップホップ、R&B、ポップミュージック、レゲーなどの音楽を使いながらフローしていきます。チャレンジングでユニークなヴィンヤサフローのクラス。

 

 

2部:陰ヨガ {13:00~15:00}

Yin Yoga

 

陰ヨガのクラスではゆったりとディープに身体を開き伸ばして行きます。柔軟性を高め健康な身体を保つ事を目的にしています。陰ヨガで瞑想的なマインドを作る事で、ヴィンヤサフローの練習をさらに深く行う事が可能になります。

 

 

3部:ホロトロピック・呼吸法&瞑想 {17:00~19:00}

Holotropic BreathingMeditation

 

超意識にアクセス出来る呼吸法です。スティーブによるとこの呼吸法を行う事で人生が変化し、ハイになるそうです。呼吸法の後はスティーブが瞑想クラスを行います。普段の忙しいマインドから解放され、静穏でおだやかなマインドの状態にアクセスしていきます。

 

 

4部:キルタン&ダーマ・トーク {20:00~22:30}

Kirtan, Ecstatic Chanting & Dharma Talk

 

キルタンとは心のヨガ、喜びに溢れるマントラチャンティングでハートを開き、感情を浄化していくバクティヨガのテクニックです。スティーブ・ロスがギター演奏でキルタン、チャンティングをリードしていきます。スティーブの演奏とリードに合わせながら、みんなでマントラを歌います。スティーブによる、エクスタティックなキルタンを通して心の曇りを取払い、ハートを開き、感情を浄化していきます。頭から離れ、心のヨガを体感しましょう!音楽は頭で理論的に理解するのではなくハートに直接響いていき、どんなに固くなった人のハートも開く事が出来るほどパワフルです。キルタンの後はスティーブによるダーマ・トーク, Dharma TalkQA形式でマスターティーチャー、Steve Rossがヨガについて、人生についてトークをしてくださいます。

 

 

 

{受講料}  早割!2月27日まで申込みの方:

 

1部~4部: ワークショップ1本:5250円(消費税込み)

 

2月28日以降: 1部~4部:ワークショップ1本:6300円(消費税込み)

 

 

{定員}

1部~3部: 各35名

 

4部キルタン: 100名

 

{会場}

Yoga Spot

 

{スティーブ・ロス}

MahaYoga(マハヨガ)主宰。

80年代にはフリートウッドマックやメンアットワークなどの大ヒットバンドのギタリストとして大活躍。しかしその時インドで出会ったヨガで人生が180度変わる。その後様々な師のもとで多様なスタイルのヨガを約30年練習し、指導暦は20年以上になる。

深いヨガの哲学に支えられた精神と、ヒップホップを大音量で流しながら行うという自由でオープンなスタイルが大人気となり、ハリウッドのセレブや、クローディア・シファー、ナオミ・キャンベルなどのスーパーモデルにもヨガを教えた。

 

またミュージシャンという特性を生かして自らが作詞・作曲したCDGrace is the Name of the Game」をリリース。

Happy yoga」の著者としても知られている。

 

 

Steve Rossの言葉 ~著書Happy Yogaより~

 

精神分析をすることは、この世界にどのように対処するかということを学ぶにあたっては効果的なこともあるし、実践的な事柄に対しては非常に役に立つかもしれない。自分の人生のそれぞれの要素を整理したり、ちらばった思考を整頓したり、また何か大きな決心をしようというときには、論理的で先入観のない誰かに自分の話を客観的に聞いてもらえば何らかの力になるだろう。しかしながら、そういったものを超える何かということになると、精神分析はあなたを単に限りなくあれこれと「自分の考えについて考える」ことに導いてしまう可能性がある。そもそも解明できないようなことを解明しようとするからである。この世界は謎に満ちていて、どんなレベルの思考であれ、考えて理解できるようなものではない。そのわけのわからない事柄を統合し、その謎と共に生きていくことを学ぶには、分析をすることは返って遠回りな方法だ。しかもお金がたくさんかかる!過去の出来事を細かく掘り起こし、すでに存在していないものの中に答えを探し、自分の人生に起こった出来事に意味づけをしたり、出会った人たちをあれこれ判断したりする。それが、いわゆる「セラピー」の中でほとんどの時間を費やす内容である。そういったことはあなたの知性を刺激するだろうし、私は傷ついていると思っている人達にとっては慰めとなる。しかし本当に真実を求め、真実のために生きている人々がそのような慰めに興味を示すことは決してない。一時的でしかないそのような慰めは、私達にとってゴールでもなんでもなく、障害なのである。

 

 


 

もしあなたが、それが自分の幸せにつながると思って、誰かに認めてもらうことを求めたり、誰かを自分の思い通りにしようとしたりしているなら、それは大いなる誤算だ。期待はどんなときも必ず失望を生み出す。幸せや平安が自分の内側ではなくどこか他の場所にあるという考えは非常に一般的な、また苦痛を伴う間違いである。

 

 


 

あなたの体は、あなたそのものではない。あなたの存在の本質は99.9%の空っぽのスペースと、ほんの少しの波動なのだ。だから鏡に映るものにだまされてはいけない。もう少し高いところから自分自身のことを見てみることだ。何も悩む必要はない。

 

 


 

自由とは、強制されることなく行動できる力である。ヨギにとっての真の自由は、頭を使うか使わないかを自分で選ぶことができる力だ。もしあなたが自分の思考のスイッチを切ることができないなら、あなたのその思考は強制的なのだ。疲れきってベッドに横になり、今すぐ眠りに落ちたいと思っているにもかかわらず、どうしてもあれこれ考えるのをやめられない、ということはないだろうか?頭の中を思考がかけめぐり、たいしたことの無い内容にもかかわらずそれを止めることができない。どうしてだろう?自分の思考なのに、どうして自分でやめることができないのだろう?つまりはそれが強制的な思考というものなのだ。そして強制的な思考とは、他の強制的に行うこと-食べる、ギャンブル、飲むなど-と同じく、あなたにとっていいものではない。

 

 


 

ある意味、誰もが牢獄に閉じ込められていると言えるのではないだろうか?もしあなたが全ての出来事や物事に対して大いなる愛を感じていないなら、そして至福の中に恍惚として生きていないなら、あなたは今自分自身の思いという牢獄に閉じ込められているのだ。その牢獄こそは、コンクリートや鉄格子でできた牢獄よりもずっと強靭なものだ。 22年間中国の牢獄に入れられ、おぞましいほどの拷問を受け続けたあるチベットの僧がいた。彼が囚われの身から解放されたとき、ダライ・ラマが彼にたずねた。「何がもっとも怖かったですか?」と。僧は答えた。「私を拷問する人に対して、いつか思いやりの心を失ってしまうのではないかということが怖かった。」あなたの内に自由があれば、たとえどこにいようと、あなたは常に自由である。

 

 


 

ハートチャクラが開くと、人は自分の害になるような状況にもはや惹かれなくなってくる。自分のことを粗末に扱うような男や、ガミガミ言うような女、またはネガティブなことをしてくるあらゆる人に、これまでは強く引き寄せられてしまっていたのが、そのような状況を直感的に避けることができるようになるのだ。後には辛い思いしか残らないような状況にどうしてもひきつけられてしまうということもなくなる。 そしてあなたは二度と傷つくことも、何かにはまりこんでしまうこともなくなるのだ。

 

 


 

周りにいる人に「あなたは誰ですか?」と聞いたら、返ってくる答えはだいたいこんなものだ。「私は母親です。」「私は社長です」「私は警備員です」「私は祖父です」。「ご機嫌いかがですか?」と聞けば、誰もがしょっちゅう耳にし口にするような、「元気です」「幸せです」「悲しいです」「落ち込んでます」「最高の気分です」といった答えが返ってくるだろう。「私は、」の文の後に続く全ての言葉はあなたが「これが自分である」、つまりアイデンティティとしているものである。あるレベルにおいてはそれはもちろん全て本当のことだ。しかし、同時に非常にあなた自身を制限するものにもなりうる。もしそういったものがあなたの全てだと思っているなら、あなたは非常に窮屈な枠の中に自分というものを押し込んでしまっているのだ。そしてそれは強い二元性、つまり、苦しみを生み出す。自分は素晴らしい成功者であるというアイデンティティを強く持てば、確かにその分野では大変成功するかもしれない。しかしながら人生のそのほかの分野では惨めそのものかもしれない。それが、二元性の本質である。

 

 


 

この世で唯一つ確かな事は、全ては変化するということだ。全てのものにはそれぞれの形があり、その形には期限がある。そして遅かれ早かれ(たいていの場合早かれ)、全ては消えゆく。 しがみつくことのできるものは何一つない。 どれだけ必死に留めようとしても、その時期が来れば人生はあなたの手からそれを奪っていく。切ないことのように思えるかもしれないが、実際にはそれは美しいことだ。生命そのものは常に変わらずそこにある。しかし生命の本質は、変化を通して変化を体現するものなのである。私の言っていることが信じられないというなら、物理学者に聞いてみればいい。彼らは言うだろう、もし変化することがなければ、宇宙は崩壊する、と。常に一定の、安定した、変化しない宇宙を見ることはできない。それは存在し得ない宇宙であり、非宇宙的である。

 

 


 

私はかつて、非常にパワフルなインド人のヨギと数年を過ごしたことがある。パワフルな教師を持つことで成長の速度が加速することはよくあることだが、それは幸運にも私がまさに経験したことだった。私は当時あらゆる修行を行い、真実の探求だけに一身をささげていた。私はその長い期間の間中ずっと、恋に落ちていた。しかし何か形のあるものや、何か特定のものとではない。私は全ての人、そして全てのものに恋をしたのだ。私は地面や木々や建物など、目に見える全てのものに恋し、また目に見えない全てのものにも恋した。私の内側から絶え間ない愛を引き出すのに、誰か特定の相手は必要ではなかった。全ての思考やネガティブな感情のすぐ下には、愛が大海のごとく存在している。それを感じるために必要なことは、頭の声を静かにさせるだけでいい。

 

 


 

誰かに自分を満たしてもらおうしているのは、愛しているのではない。満たしてもらおうとしているのだ。満足させてもらい、幸せな気分を味わわせてもらおうと期待しているのは、愛しているのではない。それは満足させてもらい、幸せな気分を味わわせてもらおうとしているのだ。では愛とはどういうものなのだろうか?愛とは受け入れることである。愛とは相手が選択した在り方を受け入れることである。愛とは他者を、世界を、そして自分を受け入れるということの純粋なる喜び、至福を感じることである。愛とは太陽のようなものだ。ただ燃え、そしてただ輝いている。何の見返りも求めずに。そのような愛する状態にいることの見返りは、何よりも素晴らしいものである。それは、愛する状態にあれる、ということだ。もしあなたが今までそういう状態を経験したことがないなら、つまりそれは、あなたが今まで一度も本当に愛したことがない、ということである。

 

 


 

 

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